老害は一つのドラマのはじまり


久々に、駄文などを。

最近話題になったニュースに、もう48歳になろうかという三浦カズ選手に対して、「もうおやめなさい」発言をした張本勲氏のニュースがありました。

その後、やりとりが少しあって、下記のようなすがすがしいドラマとして一旦の完結となっています。

張本氏 カズ最年長弾を称賛「またやったか!最後まで応援したい」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー

これ、すごく興味深かったので、この一連のやりとりで出てきた「老害」という発言について考えてみます。

ドラマメイクできるときもある

僕は「老害」というのは、人生の大きな物語の中で言えば、小さなドラマ発生のフラグというふうに捉えています。

ドラマ発生のフラグとは、どういうことかという話なんですが。

例えば年長者が年下にとって「老害」と呼ばれるような出来事を発生させたとします。

これは多くの場合、年長者の無理解、イデオロギーの違い、自分の過去に照らし合わせてのアドバイスみたいなこと、ある意味のアドバイス、ちょっとした言いたくなってしまったことなどあるとおもいます。

で、これが若者にとってはうざいし、何を言っても無駄そうだし、向こうは権力を持っていそうだし、とにかくめんどくさい。他のことをやりたいし、しかも関わるならもっと別な人に時間を使いたい、興味がないみたいなことになります。まあ僕もそうなったりするわけです。

そこで、あれは「老害」だということで遠ざけてしまうわけですが、これだと対処法としてはよくとも、ドラマとしては成立しません。

無理解な年長者の物言いに対して、なんらかの方法で誠実な姿勢をもって続けていく。

その後の一悶着、ふた悶着を経て、「あの若者もなかなかやるじゃないか」という風に認めていく。 最後には若者を応援する側につく、あるいは最後まで理解できずにしかしその姿勢だけは認めて決裂していく。

こうなってこそのドラマだと思うんですよね。年長者の人の理解が見当違いであればあるほど、ドラマは劇的になる。

強い味方になるかもしれないし、格闘漫画における解説キャラのように、あなたのしたことをわかりやすく人に伝えてくれるかもしれない。

じゃあ実際どうしたらいいのか

とりあえず、自分の信じていることを続けてみる。コミュニケーションをシャットアウトせずに、しかししたがったりもせずに関係を続けて様子をみる。

場合によっては素直に従う必要もあるかもしれないし、その中でちょっとずつ自分の思いを伝えていく。

そうしていくと、次の展開が起きたりします。

はるか目上の人から何かを言われたことに対し、「老害」で終わらせるのは、もったいないケースもあるよという話でした。

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